HKS女性リーダー達の横顔(1):家族の理解が得られなくても自分が変えるーLucilaの場合。

日本にいると、

リーダーシップポジションにいる女性は

民間企業で言えば、

いわば管理職のうち4%しかいない超希少人種で、


手の届かないスーパーマンな気がしてしまう。


しかし、

ケネディ・スクールでは、


贅沢なことに各界でリードしてきた女性ばかりが、

同級生の約半分を占めている。


そんなパワフルで自然体で素敵な女性たちと日々過ごしながら、


こんな友人たちを紹介しないのはもったいない!と

(なかなか子連れでソーシャル・イベントにも参加できないので、

自分が卒業前に彼女達の話を色々聞きたいと思っている、

という自分の効用も兼ねてだが、)


こんなシリーズを始めることにした。


「日本にはロールモデルになるキャリアを積んでいる人少ないし、

色々な生き方があるってことを伝えたくて、

インタビューに協力してくれる人いるかな?」


と女子達に投げかけたら、


凄い人数の友人達が二つ返事で

「それいいね!やるやる!」

と言ってくれた。


このフットワークの軽さ、

自分の少しの貢献で社会が変わるなら、とのってくれる

ケネディ・スクールの女子達が大好きである。


ということで、記念すべき第一回はLucila Takjeradさん。

(ケネディ・スクールStudent LoungeでのLucila。)


***


7月にケネディ・スクールのサマー・プログラムが始まった時、

可愛い笑顔でフレンチアクセントの英語を話す彼女が、

クラスの前でした自己紹介をよく覚えている。


「私はアルジェリア生まれで、第二の故郷はフランスです。


大学では数学専攻で、投資銀行で働いていたので、

ファイナンス関係の授業で助けて欲しい人は

聞いてください!」


彼女は米系の著名投資銀行の

ニューヨークとロンドンオフィスで

M&Aチームに所属した後、


アブダビのソブリン・ウェルス・ファンドで働いていた

という輝かしい経歴の持ち主だ。


一見、そんな経歴と、

彼女のフランス人っぽさから、

(彼女の自宅のパーティでは、フランス人は必ず持っている!と豪語していた

フィーズフォンデュ・マシン(大阪人のたこ焼き機みたいなもの!?)で

ご馳走になったりした。)


きっと、彼女は典型的な欧米のパワープロフェッショナルで、


コーヒー片手に始めたインタビューでは、

「いかに男性優位の投資世界で女子が挑戦していくのが大変か」

みたいな話をしてくれるのかな?

と漠然と思っていた。


しかし、インタビューを進めるにつれて、

彼女の全く知らなかった一面を聞くことになった。


如何に彼女がその笑顔の裏で

苦労を乗り越えてきたのか、そして

自分で道を切り開いてきたのか。


***


アフリカと地中海とアラブ世界の交差点にある

北アフリカのアルジェリア出身の彼女は、


保守的なアラブ系の家族に育てられた。


彼女の育った文化は、

「女性は男性の庇護の元で生きる」というものだ。


配偶者や親に生活を頼るのが当たり前であり、

「普通」な文化のなかで、


自立した女性は周りに全くおらず、

彼女は、特殊な人間として見られていると言う。


彼女に、

「人生において、一番の困難は何だった?」

と聞いた時、


彼女は真っ先に

「家族」

と答えた。


両親も十分な教育を受けた経験がなく、

女性が学ぶこと、働くことの意義は全く理解されなかった。


理解されないどころか、タブー視される。


しかし、

Lucilaはフランスの高校に行くチャンスを得た時、

教育が貧困から抜け出す道だと信じ、

親が反対する中で海外勉強する道を選んだ。


しかし、母国にいた彼女の両親は、

親戚にでさえ、

Lucilaが海外で勉強をしていること言えなかったそうだ。


「最近見ないけどどこにいるの?」

と聞かれても、

ちょっと今いないんだよね、

と言葉を濁す日々が続く。


絶対に「海外で勉強している」などと言えない

環境だったと言う。


「例え子供がハーバードに行っていても

自慢出来ないなんて信じられる?」


「家族のサポート」が常にあって、

家族の応援やアドバイスが自分の道を決める上で

大きな力となっていた私にとって、


彼女の置かれた環境の厳しさは

想像するのも難しい。


彼女は自分の意思でフランスでの勉強を続け、

投資銀行に勤めて自分で生計を立てられる

自立した女性への道を突き進んだ。


***


しかし、彼女の挑戦は

「成功したパワープロフェッショナル」

では終わらない。


「私は断ち切れない貧困の連鎖を、

教育の機会で食い止めたいの。」


彼女は、フランスで自分に与えら得た機会、

それを母国、

自分のコミュニティに返していきたい、

と強く言う。


「今の時点で、自分ができる恩返しは、

すごく小さなことなんだよね。」


そう言いなが、

彼女が教えてくれたのは、


彼女が少しずつコミュニティに返していくことで

周囲が変わっていった様子だ。


「私の母は、教育を受けてなかったのだけど、

55歳で初めて高校の卒業証明を取得したの。


あと、私の妹もビジネスを始めて、

私が手伝っているわ。


今までは会うことすら憚られた叔父も、

今では『娘たちのメンターになってくれ』

と言ってくれる。」


「私が家族と対立した中で学んだのは、


『焦らないこと (Be patient)』と、

相手の立場を理解しようとすること、ね。


神様を、そして自分を信じる。

(Have faith—faith in god and in yourself—)」


両親は学校に行って教育を受ける機会はなかった、

だから理解されないのは当然。


でも、自分が学校に行って、変化を見せることができた。

そうやって少しづつ変わっていってくれる。

信じるしかない。


***


「日本の女性たちに伝えたいことがあるとすれば・・・・」

と彼女が言ってくれたのは、


「性別であなたがどんな人間かなんて決まらない。

あなたには大きなインパクトを与えられる素質がある、と言うことね。

私は人々がポテンシャルを最大限活かせる生き方をしてほしい。」


“Don’t let gender define who you are.

You always have a potential that you can make a big impact.

I want people to live up to their potential.”


彼女が力強く言ったその言葉は、

厳しい環境の中で彼女が切り開いてきた

重みを感じるものだ。


「私がケネディ・スクールに来たのは、

この小さな恩返しを、

よりスケールアップして、


自分の生まれたアルジェリア、

そして第二の故郷フランスに貢献したいから。


当面の目標は選挙に出ることね。」


そうチャーミングな笑顔で語る彼女の、

これからの挑戦がとても楽しみだ。


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