HKS女性リーダー達の横顔(3):選挙ボランティアから政権中枢へーPhillyの良心Gwen。


さて、素敵なHKSの女性同級生達の生き様を紹介するこのシリーズ。


アルジェリアのLucilaバルバドスのDonnaに続いて3人目で、

ついにアメリカ人の友人Gwen Campの登場。

***


私は、Gwenはとても「強い女性」だと思う。


私とは年は一つ違いで、経歴は

ペンシルバニア州財務省の首席補佐官(Chief of Staff)、

オバマ政権の米連邦緊急事態管理局(FEMA)のDirector、

上院議員のState Director、、、

と、かなり輝かしい。


「強い」と書くと、

肉体的な強さ、芯の強さ、気の強さ、、、

色々解釈ができるが。


その経歴の裏にある、彼女の「強さ」、


それは「逆境を跳ね返す強さ:レジリエンス」と

「人の心がわかる/寄り添える優しさ」である、と


今回のインタビューを通じてよくわかった。


***


彼女と最初に言葉を交わしたのは、

オリエンテーションの時に、同じ組分けだった時だ。


「自分たちの今感じている不安を共有する」

というようなテーマのセッションで、


私が「日本文化の中で育ったので、

人前で英語で発言するのはハードルが高い」

というような話をしたところ、


休み時間に近づいて来てくれて、

「言ってくれてよかった。

そういう文化の違いとかって、

聞かないとわからないこともあるよね。」

と言ってくれた。


学校が始まってすぐと言う環境で

自分もドキドキしていたので、


彼女の優しい言葉にとても救われて、

それ以来、

彼女のまっすぐで優しい人柄に惹かれていたのだが、


今回、春風の吹くHKSの芝生で

お茶を片手にインタビューをして、


彼女が震災被害者と数多く時間を過ごしていたことを知り、


彼女の人に対するバリアのなさや、

いつも優しく声をかける姿にもすごく納得感を感じた。


***


「私は、家族の中で唯一大学まで出てるのよね。」

という言葉、とても意外なスタートだった。


ハーバードに来ているアメリカ人は、

エリートで裕福な家庭から来ている人が多い

というイメージがあったからかもしれない。


おそらくこの生まれ育ちが、

彼女が全く壁なく人と接せる原点があるのだろう。


「でも、家族はすごくサポートしてくれるの。」


アメリカ建国の地の一つ、

ペンシルバニア州のフィラデルフィアで生まれ育った彼女は、

生粋のPhillyっ子。


「世界を変えたい、人を助けたい」


そんな理想に燃えた少女は

開発援助に興味を持ち、

大学を出てすぐPhillyを飛び出し、

フィリピンでのフィールドワークに旅立ったそうだ。


しかし、時は2004年、アメリカで大統領選挙の年。


ふと気付いたのは、「世界を変えたい」と思っているのに、

足元の自分の国で、自分と価値観・意見の異なる大統領が

再選しようとしている事実。


特に、ペンシルバニア州は「Swing State」と呼ばれる、

選挙結果を左右するかもしれない激戦区。


「何かしなくては」

居ても立っても居られなくなった彼女は、

すぐに地元に戻って、


民主党大統領候補であるジョン・ケリーの

選挙キャンペーンに参加した。


キャンペーンで主にやったのは、

「door knocking」


すなわち、有権者の自宅を訪問して、

票を稼ぐために、地道かつ重要な活動だ。


彼女の尽力の甲斐もあってか、

ジョン・ケリーは2.5%差でペンシルバニア州を勝利。


しかし、残念ながら最終的な結果は、

大統領はブッシュで変わらなかった。


・・そして、この結果は彼女に火をつけた。


「私の理想とする候補者が勝つために、

何十年かかっても、

政治に関する全てのことを学んでやる!!」

彼女はその時そう誓ったそうだ。


***


「政治のことを全て学ぶ」旅、

手始めに、彼女は州の議員事務所での仕事を始めた。


最初は、電話を取ったり、書類を印刷したり、

地元のおばあちゃんの必要書類を埋めてあげたり、、

雑用からだったそうだ。


次にやって来た2006年の中間選挙は

昨年2018年の中間選挙の時に似ていたという。


多くの女性候補者が当選し、

ナンシー・ペロシが女性として初めて下院議長に選出された。


新しい波を感じながら、

そして、2008年・・・次の大統領選挙がやってくる。


彼女が候補者に求めていたのは、

普通の一所懸命働いている人たちを大事にし、

困っている人に医療保険を提供し、

女性や全ての人に等しい機会を提供する、

そんな価値を持っている人。


バラク・オバマは、

彼女がまさに求めていた候補者だった。


彼女は、オバマの選挙キャンペーンの門を叩き、

絶対に雇ってくれるまで、

しつこくボランティアし続けたそうだ。

(I volunteered, volunteered, and volunteered, until I get hired!)


彼女は、すぐにフィラデルフィアの政治ディレクターとなった。


オバマ候補のホームタウンであるシカゴチームとの間で、

複雑に分散したフィラデルフィアの選挙対策を行う役割だ。


「あの時の選挙では、

今まで投票したことがない人が結構投票してね。


選挙って、とにかく、

一所懸命働くということが大事で、

それが結果に繋がる。


やることそのものはすごくシンプルで、

一度やったことがあれば、

すぐ教える立場になれるんだよね。


だから私は政治が好き。」


オバマ大統領が選挙に勝った時、就任した時は、

世界が感動したが、

彼女はまさにその中心にいたのだ。


***


多くのオバマキャンペーンに参加していた同僚達が

ホワイトハウスで働く中、


一旦Phillyに戻った彼女も、ホワイトハウスからの誘いに、

また「世界を変える」一部になろう、と心に決めて、

DCに行くことにした。


彼女の就いた仕事は、

オバマ政権の国土安全保障省傘下の

The Federal Emergency Management Agency (FEMA)での

Director of Intergovernmental Affairsというポジションだ。


ハリケーン・カトリーナの惨事の後、

政権では、連邦政府・州政府・地元の連携が

上手くいかなかっとことを反省し、


政治に強い人間でその繋ぎ役になれる人

求められていたそうで、

彼女の経験はまさに役に立つものだった。


災害救助の仕事は非常に大変な仕事だ。


いつどんな状況で目がさめるかわからない。


「私はカオスでも大丈夫なタイプなんだよね。

多分、予定を立てるのが好きで、

きちっとしたタイプには向いてない仕事だよ。」

と言う。


ハリケーン・サンディで

ニューヨークの街が機能不全になる中で、

アメリカを機能不全にさせないために、

どうやってウォール街を機能させるか。


ミズーリ州で、街が立ち直るために、

精神的支柱が必要で、

どうしてもこの高校の卒業式は実現させたい。


彼女が日々直面したのはこういった判断だ。


彼女の仕事は、

災害で大変な時に、

その住民達の話を聞き、

感情を共にし、

一緒に泣くことだった、と言う。


「その地域にとって、

何が必要なのか、何が大事なのか、

話を聞かないとわからないから。」


「まぁ、新しい仕事でこんなに

ハグするなんて思ってなかったね。笑」


ハリケーン・サンディの災害対応では、

日本からの救援物資でブランケットを乗せた

飛行機が到着した時に希望を与えてくれて、

感動した、と言う話も教えてくれた。


そんな大変な仕事を引き受け、

さらに国土安全保障のエキスパートとして

キャリアを積んで行く彼女。


何が彼女を突き動かす原動力なのか?


「あなたに、何か強さがあるとすれば、

それを共有する義務があると思うの。


私は一番頭がいい人でも面白い人でもないけど、

でも、多分逆境に強くて、

すぐに諦めないタイプだから。


これが安全保障の仕事に辿り着いた理由だと思う。


この仕事は、飽きないよ。

自分が変化を作っているって感じられる。


何か新しいことを知ると、次のレベルに行ける。

まだ世の中には見てないものが沢山ある気がする。」


***


彼女は、オバマ政権が政権交代した後は、

ペンシルバニア州に戻り、

州財務省の首席補佐官となった。


ちなみに、彼女は6月に結婚する予定で、

彼女のフィアンセはその時の部下だそうだ。


「恋に落ちちゃったのよね。(we fell in love)」

彼女は、笑いながら彼との関係を教えてくれた。


「私たちの関係は、

同じ日を二人一緒に感じるような関係かな。

二人がそれぞれの成功を達成すること、

それぞれの幸せを追求することを信じてる。

私は彼の仕事ぶりがとても誇りだし。」


カップルで同じ職場で働き続けるのは難しいので、

彼女がケネディ・スクールに来たのは

丁度良いタイミングだったよう。


そんな彼女になぜケネディ・スクールに来たのか聞いた。


「私は今まで、

州の議員、下院議員、上院議員、大統領と

色々なレベルで色々な候補者・議員を支援して来て、


『その人たちの価値観』を代弁して来たんだけど、


『私自身の価値観(my values)』と向き合って、

再認識したいと思って。」


「今まで災害救助とか選挙とか、

常に時間に追われて来たけど、


ここでは、

自分一人の時間とか、

考える時間を沢山作ってる。」


結婚、

民主党の敗北、

安全保障の仕事、

そういった全てのことを踏まえて、


彼女にとってケネディ・スクールは

自分を見つめ直して、次のステージに行く中間地点だ。


***


彼女に

日本人の女性達に何か伝えることあるかな、

と聞いたところ、


「私は日本の女性にでもPhillyの女性にでも同じこと言うわ。」


「何か自分に強いところがあるとしたら、

それがあなたが選挙に出る理由になる、って。」


「フィラデルフィアも州政府は18%しか

立法府に女性がいなくて、

私はそれは課題だと思ってるから。」


「私は、ハーバードでもお金持ちでもない普通の女性、

お母さんとか、主婦とか、キャリアウーマンとか、

そう言う人が普通に選挙に出るようになったら、

世界が良くなると思うの。」


***


人々に寄り添い、

力強く、

行動力のある彼女は、


確実に「世界を良くする」変化を

これからも担う人だと思う。


そんな彼女がいつも話していて、

彼女の愛する故郷Philly、

私も一度行って見たいな。

(インタビューしたHKSの中庭で。)


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